孔子廟公式ブログ

孔子廟の今を長崎孔子廟・歴代博物館の副館長「小林」が毒とパンチを効かせてお届けします。

少年時代に思いを馳せて。

2020.03.03

皆さま、こんにちは。
気付けば、10日以上更新が滞っておりました。
最近、冒頭の決まり文句が “気付けば~”が多いのが我ながらイヤんなります。
そんな亀の歩みなのももう大した問題ではなくなってきましたね。

今大変猛威を振るっている新型ウイルスに関する事を記載しようかと思ったりしましたが、
全国民の皆様が大変な状況でわざわざ自分が書いてもな、と思い
今回以降の公式ブログも通常運転で記載していきます。

孔子廟のルーツ

折々で機会があればお話する事ですが、
博物館であり、観光施設として運営している“長崎孔子廟”のルーツは、
華僑の方々が通う『時中小学校』でした。
実は孔子廟に就任したばかりの自分は、当初その事実にあまりピンときていませんでした。
(なるほど、以前学校があって今は博物館で、でも形が変わり中国語教室が併設されているんだな)
と、淡々とした認識でした。

だけど日に日に孔子廟が以前は小学校であった事実と、小学校として運営されていた時代の事を
知りたいと思うようになりました。
どんな学校だったのか、どのような教育だったのか、校舎はどんな間取りだったのか。
運動場と校舎の位置関係や校長室は存在していたのか。何故か間取りが無性に気になり
卒業生である館長に聞いたり、文献を読んだりして己の知的欲求を満たしていきました。

館長は「給食が美味しかった」事だけしか覚えていませんでした。
もっと覚えておくべき事があると思うのですが、記憶がないものは仕方ありません。
でも当時そんなに美味しかった給食。生徒に対する教育や環境が手厚かった事が伺えます。

余談ですが、自分の小学校時代の給食は、味はまあ良しとして食器とスプーン。
あれはアルミかアルマイトだったと思います。あれが苦手でした。
音と口当たりが・・。(カチャカチャ)

間取りは文献で知ることが出来ました。
私が今まさにブログを書いているデスク。ここはピンポイントで何と、厠があった場所でした。
厠かぁ・・・。別にいいけど・・・。

そして校庭の他に運動場が2カ所もあったそうです。
すごい。生徒さん達は伸び伸びと活動出来たでしょう。

当時から前方の大成殿は存在していて、手前の広場は運動場。大成殿奥に校舎が存在していました。

文献に依ると、大成殿の礎石に当時の生徒さんがいたずらで名前を刻んだらしく、探してみました。
目を凝らさないと分からない物もあったけど見つける事が出来ました~。

個人情報、、、大丈夫かな。

名前を刻んでいる情景を想像して(可愛い・・・)と、ほっこりしました。
(私も彫ったろうかな)と一瞬思いましたが、今やったら建造物破壊になってしまうので止めました。

時代は変わり観光施設となった今でも、ここが小学校だったという証が残っている事が何だか不思議な気持ちになります。
思いを馳せれば頭の中で陽水さんの少年時代が・・・。遠ざかる汽車、走る少年、藤子不二雄A・・。

当時の華僑の方々が建設して運営に心血を注ぎ、閉校となった今。時中語学院(中国語教室)として形を変え今も尚、学びの継承は息づいています。

誰かに聞いたり写真をみたり、文献を読むことでしか当時の学校風景を窺い知る事は出来ませんが、
孔子廟のルーツ、そしてその根幹である時中小学校の歴史は、今孔子廟に携わる者として忘れてはいけない事だと切に思います。

それを踏まえての教室大改装

一年越しになりましたが、とうとう実施となります。
『時中語学院』教室の大改装が。
何と壁をぶち抜いての工事。教室が広くなります。しかも、、天窓をつけてもらうのです。
夢の採光です~・・・。
一年前のブログで、同様な内容を書いてから工事が延期になってましたがようやく実現します。
工事に際して机だの何だの諸々を大移動しないといけませんが、未来君と職員本田君ならきっとやってくれるだろうと信じています。私は腰があれなため傘より重たい物は持てません。

教室ビフォー。アフターが楽しみです♪

教室のテーマは、以前も宣言したように
“ジャングル教室”にしたい所存です。野生動物を放つ事は追々考えるとして(館長からの猛反対により)目に優しい青空学級を目指します。
動物を放つ事は先ず衛生面をクリアにしないといけない事と、出張中は誰が食事をあげるんだ、そもそも自己満足に他ならないという事実に思い当たってしまった事。
こんな与太話に毎回付き合わされる館長が本当、不憫です。
大体こんな妄想ばかりしているので毎日が飽きません。

施工業者さま。一ヶ月間の工事、ご安全によろしくお願いいたします!!

そんな学校、教室の報告でした。
それでは☆