孔子廟公式ブログ

孔子廟の今を長崎孔子廟・歴代博物館の副館長「小林」が毒とパンチを効かせてお届けします。

たかがバケツ一杯されどバケツ一杯。

2020.08.25

こんばんは。
まさかの連続投稿ですばい。
一体誰がこんなハイペースを望んでいるというんだ・・・。夏真っ盛りも終わりを告げようとしておりますが、
今からは台風の恐怖に怯えながら過ごす日々が始まろうとしています。
台風は怖いです。何が怖いって、施設が倒壊する恐れがあるのが怖いです。
万一そんなことになろうものなら、、、私は終わりだ。

製作動画のお話

不定期でこれまでに数本の動画をInstagramやFacebookに掲載しております。
大半はもうすぐ完成する、孔子さまマペットの製作動画ですね。
本来であれば、完成した物を施設紹介動画で登場させる事を目的としておりましたが、
この製作の進捗もどうせなら、PRの一環にしてしまえ。と
需要があるかどうかなんて無視しまくって、割かし自由にやらかしておりました。

もう一歩で完成という所です。眉毛がないと怖い。

 

ただ、編集作業に思いのほか時間を取られてしまう事態に陥りました。

通常1時間。長い時は最大3時間の元動画を、カットしまくって5分弱のものにするのですが、
この時いつも毎回、編集に携わる人達やYouTuberさんは本当に凄いなぁ、と思います。

切って繋げて、で終わる訳もなく構成というんでしょうか。

一応こんな私でも一連の流れや繋がりを気にしてシーンを前後入れ替えてみたりとかする訳です。

けど何度かやっていくうちに思い至るのですが、この入れ替えて組み立てる作業というのも、
突き詰めていくと自己満足に過ぎないわけで、
何が心に刺さるかなんて見る人達の感性によって違ってくるので、
自分がチョイスしてないシーンの方が、面白い。と思う人もいる訳です、きっと。

でもその部分は世に出ないものになるので、もしこうしてたら、とかああしとけば、とか
答えの出ないifの世界に陥り悶々と考える訳なのです。全く以って不毛極まりない。

ですが前述したように、あの製作動画もそうしながら心血を注いでいたのであります。

でもそうやって心を砕いて取り組んだものというのは、必ず何かしらの反響が返ってくるものだと信じています。
そうに決まってるんだ、というもうほとんど信念というか怨念というか。

館長のプリティーウーマンもSMコンビの財津和夫も心を砕いた結果なのです、本当に。

「動画を見て孔子廟が、中の人達が以前より身近に感じられた。」

「これからも動画を発信して欲しい」

と言った声を頂きました。
こういったコメントは、私達にとって何よりも変え難い貴いものです。

という事は、もっと真面目に取り組んだら良いんでしょうが
どうしても緊張感がない方向に行っちゃってしまいます。

マペットが完成した暁には孔子廟という施設をもっと身近に感じてもらえるような、
アットホームでためになり時にはちょっと涙腺を刺激されるような、
つい見たくなるPR動画を発信していけるよう、気合いだけは十分です。

一簣之功

上記にちなんだ論語のお話でもしましょうか…

論語というのは、皆様ご存知であります通り
孔子と孔子の弟子のやり取りを、孔子の没後に弟子達がまとめたものが其れであります。

ほとんどが孔子の道徳思想を弟子達に説いたものであり、
現代にも通じる正しい生き方や人としての在り方が読み取れます。

子曰く、譬えば山を為るが如し。未だ一簣を成さざるも
止むは吾が止むなり。
譬えば地を平らにするが如し、
一簣を覆すといえど、進むは吾が往くなり。

書き下し文となりますが、少々間違っているやもしれません(うろ)
仕事私生活問わず、何かに取り組んでいる時に思い出す論語です。

諸説の訳がありますが、自身の意訳は

物事を達成する事は山を造るようなものであり、あとちょっとの所で
手を止めてしまったら、全て水の泡。でも泡にしたのは他の誰でもない自身なのだ。
例えば、地面を平らにするようなもので、
たったバケツ一杯分の土だとしてもそれは自身の努力の成果である。

何という聖人君子なのでしょう。
孔子はよくよく粋な例えを用いることが多く見受けられます。
自分の上司が例え話で人としての在り方を説いてこようものなら、
ノックダウン間違い無しです。間違っても館長は例えなぞ使いません(ごめんなさい館長)

気付けば論語の中の言葉というものは、沢山の人々の中に根付いているのではないでしょうか。

本日はここまでと致します。
それでは、次回もよろしくお願いいたします。