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長崎孔子廟について
About Nagasaki Koushi-byo
長崎孔子廟は、1893年(明治26年)に、清国政府と在日華僑が協力して建立したもので、その後いくどかの改修を経て現在に至っています。
中国山東省曲阜にある総本山なみに、建物の随所に壮麗な伝統美を凝らした、日本で唯一の本格的中国様式の霊廟です。
『論語』で知られる孔子は、中国の春秋時代の思想家です。
今からおよそ2500年ほど前、紀元前552年※魯の国の曲阜郊外(現山東省曲阜市)に生まれました。
孔子の時代は、周王朝が崩れ、諸侯が対立抗争した動乱期でした。
孔子は魯の定公に召されて要職にも就きましたが、その後職を退き諸国を歴遊。14年後に祖国の魯に帰り、弟子の教育と研究に専念しました。
紀元前479年没す。74歳。
孔子の死後、門弟たちは彼の言行や子弟との問答などを集めた『論語』を編纂しました。
※紀元前551年生誕の説もあります。
長崎孔子廟のルーツは、江戸時代に向井元升が創建した長崎聖堂にまで遡ります。
約370年前にわたる長崎孔子廟の歩みをご紹介します。
正保4年
江戸時代の本草学者、医師である向井元升が、長崎市興善町に長崎聖堂‧孔子廟を創建する。
正徳5年
向井元升、孔子廟を馬場郷銭座跡に移転する。
安政6年
聖堂を改め教授所と名称、 物改役も教授役と改められる。
明治4年
学制改革で聖堂関係諸役所廃止となり 聖堂は向井家の私有となる。
明治25年
大浦乙三二番地(現在地)に用地を確保する。
明治26年
二月、長崎孔子廟起工、十一月竣工
明治39年
孔子廟内に長崎華僑時中小学校を創立
同郷会相概福建料、三江南、広東神等で公有管理。長崎県知事および、中国教育省公認の学校となる。
昭和9年
旧長崎聖堂、県へ寄贈
昭和34年
旧長崎聖堂解体、杏極門を興福寺に移転保存
昭和42年
改修工事により現孔子廟の姿となる
改修工事にともない、長崎華僑時中小学校は孔子廟前の地 (現駐⾞場)に新設移転する。
昭和58年
中国歴代博物館を併設
昭和63年
児童減少により、併設されていた長崎華僑時中小学校は閉校となり、孔子廟内に「長崎時中語学院」が新設される。
平成2年
中国歴代博物館(北京故宮博物院展⽰場)を新設
平成23年
長崎ランタンフェスティバル会場となる。
平成24年
博物館三階に長崎孔子廟史料館を新設
平成25年
博物館二階を中国歴代⽂物展⽰館に改装
平成26年
公益財団法人長崎孔子廟中国歴代博物館を設立
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